東京の随所には敗残した、時代の遺骸の側に青い瓦斯の火が点り、強い色彩と三味線とに
衰弱した神経が鉄橋と西洋料理との陰影に僅かに休息を求めてゐる。
その中元来あまり健康でなかった彼の体力は、数回のインフルエンザの為めに、回復し難き迄に
衰弱し、かくて一八九二年、(明治二十五年)九月五日を以て帰幽した。
植物は、第五氷河期襲来前の〇・五パーセントしか存在せず、而も
衰弱の徴が著しく、漸次衰滅するものと思われる。
衰弱し切った病人が、医者の手から、突き放されて、死期を待っているように、どの家もどの家も、廃頽するままにまかせられているような気がしたのです。
その日から
衰弱はげしく、大阪生玉前町の料理仕出し屋丸亀に嫁いでいる妹のおみよがかけつけると、一瞬正気になり、間もなく康太郎は息をひきとった。
——ここにおいて、三月六日切開手術を行い、腹水中に浮游せる膜嚢数十個を取り出せしも、予後の
衰弱のため、その日永眠せり。
その頃はもうずゐぶん
衰弱してゐたのだが、自分ではまだそれほどとは思つてゐなかつた。
それに持病の喘息も加つて昨今の
衰弱は眼に立つて見えます。