何か深い物思いに沈んで彼はてくてく歩き続けたが、
袋小路などに突き当って、はっと思い、辺りを見廻したりした。
看板の指し示す
袋小路のどん底に、白昼もまつくらな簡易食堂があり、その二階が碁会所だつた。
後年、私が三十のころ、流浪のあげく、京都の伏見稲荷の
袋小路のドンヅマリの食堂に一年ばかり下宿していたことがあった。
その頃郵便局のあつた横町から這入るので、左へ曲ると行止りになる
袋小路でした。
こういう疲れ方は他の疲れとは違って癒し様のない
袋小路のどんづまりという感じである。
だが、これは、
袋小路の如き日本の文壇に於ては、定めし、不自然極まることであらうと思はれる。