この男、時はもう明治十八九年という開化の時世であるが、酔っぱらうと、泉山虎之介タチバナの時安と
見得を切って女中のホッペタをなめたがる悪癖がある。
……大和田は程遠し、ちと驕りになる……
見得を云うまい、これがいい、これがいい。
手を懐にしたまま胸を突出し、半纏の袖口を両方入山形という
見得で、
「第一線」に立つ人々よ、明るい舞台で、しつかり
見得を切り給へ。
「作品を批評して作家の人物評に及ぶことは、わが大日本帝国の文壇に於ては、ちつともヘンではないのである」と、大に
見得を切つた批評家がある。
舞踊に
見得の切れさうな橋は無いと思ふが、仕事やさんのとんと沙汰するにはおはぐろ溝の棧橋(刎橋)は、持つて来いの廓への近道だつた。
ドブフタの上で
見得を切る手もあるまい、しかし大兄、ハネバシの上でチヨンなんてのは、元々余りいゝ手でありません。