今となつても未練がましくやがて時々は
訂正もしたい。
笹がれいですよ」と
訂正したかったのを村上に遠慮してよしておいたのである。
……どうして検閲官は、この戯曲中眼ざわりの個所を指摘して、
訂正を求めなかつたのでせう。
自ら批判
訂正を許さないこの芸術にあつては、その表現に際し何よりも「感性」が先きに立つ。
これを
訂正することは、如何なる演出家と雖も困難至極である。
そして、秀吉に訊問せられた時、「天が下成る」であったのを自分に反感を持つものが、知るに
訂正したのであると云った。
ところが、これは三四年前に拵えた地図で、毎年一度ずつ
訂正を加えているのですが、現在では又この地図とは大部違って来ているのであります。
読み返しては
訂正していたのが、それもできなくなってしまった。
さて、初稿成れりし後も、常に
訂正に從事して、その再訂の功を終へたるは、實に明治十九年三月二十三日なりき。