云うまでもなく私には、彼の唐突な
訪問が意外であると共に腹立しかった。
前回には極月十三日の
訪問記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。
わたしは例によって半七老人を
訪問すると、老人はきのう歌舞伎座を見物したと云った。
それから一週間ほどの後に半七老人を
訪問すると、老人は昔なつかしそうに云った。
その十三日の午後四時頃に、赤坂の半七老人宅を
訪問すると、わたしよりもひと足先に立って、蕎麦屋の出前持ちがもりそばの膳をかついで行く。
寒い風のふく宵に半七老人を
訪問すると、老人は近所の銭湯から帰って来たところであった。
それから四、五日の後に半七老人を
訪問すると、老人は火事の噂をはじめた。
十月はじめの日曜日の朝、わたしが例によって半七老人を
訪問すると、老人は六畳の座敷の縁側に近いところに坐って、東京日日新聞を読んでいた。
歴史小説の老大家T先生を赤坂のお宅に
訪問して、江戸のむかしのお話をいろいろ伺ったので、わたしは又かの半七老人にも逢いたくなった。
初夏と共に私の病室をおとづれる元気な
訪問客はジガ蜂である。