と停車場前の夜の
隈に、四五台朦朧と寂しく並んだ車の中から、車夫が一人、腕組みをして、のっそり出る。
我々の言語が、現代人の思想感情を残る
隈なく表象してゐるものとすれば、はやり語なんかで、新らしく内界を具現する必要はない筈である。
浪の音には馴れた身も、鶏の音に驚きて、児と添臥の夢を破り、門引きあけて
隈なき月に虫の音の集くにつけ、夫恋しき夜半の頃、寝衣に露を置く事あり。
同行の学者の中にも、或はこの点、やはり
隈ない理会のとゞかぬらしく、たなを吊り棚とばかり考へてほかくれぬ人もある。
恐らく今三四百年も以前には、此を語らぬ村とては、禁裡・幕府のお蔭も知らぬ山家・海
隈に到るまで、六十余州の中にはなかつたであらう。
眼の下には黒い
隈が太くついていて、頬には猿を思わせるような小じわが三四本もアリアリと走っていた。
清少納言が枕草紙に「春は曙、やうやう白くなり行く——」といひ、兼好が徒然草に「月は
隈なきをのみ見るものかは」といひ、西鶴が「笠がよう似た菅笠が」といふ。
青白い浮腫がむくみ、黝い
隈が周囲に目立つ充血した眼を不安そうにしょぼつかせて、「ちょっと現下の世相を……」語りに来たにしては、妙にソワソワと落ち着きがない。
水ある上には、横に渡つて橋となり、崖なす
隈には、草を潛つて路となり、家ある軒には、斜めに繞つて暮行く秋の思と成る。