親房の子顕家、鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付
頭人となりて国政に参与したり。
しかも彼等の
頭の上には、——ラマ教の寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。
鼻の高い、眼光の鋭い顔が一つ、これはやや皮肉な微笑を唇
頭に漂わせながら、じっと呂馬通の眉の間を見ながら、こう云った。
こつちも黙つて、ろくすつぽう見もしないで、そのなかのどれかこれかを、指の
頭でおす。
従つて同窓たちの
頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如く、一しよにはつきり焼きつけられてゐた。
我々の
頭の上の壁には、禁煙と云ふ札が貼つてあつた。
すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の
頭の上に突然ぽかりと火をともした。
当時十七歳だつた——家の令嬢明子は、
頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。