これを私
風の方法で言ひ表すと、次の如きものである。
それを携えて逃げ出そうと思案しながら火事のなりゆきを見ていると、幸いにも
風の方角が変って三軒ほど焼けたが私の家まで火の手はのびて来ないですんだ。
荷馬車の土方に怒鳴られる——その間に帽子は
風の方向に走つてゆく。
その以後は復た西南の
風が吹き出すといふ樣に、季節によつて吹く
風の方向が略一定して居る。
彼はとうとう根気も尽き、西洋
風の梯子を下りようとした。
しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は
風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。
又勝峯晉
風氏の教へによれば、俳書の装幀も芭蕉以前は華美を好んだのにも関らず、芭蕉以後は簡素の中に寂びを尊んだと云ふことである。
しかもその人波は、三鞭酒のやうに湧き立つて来る、花々しい独逸管絃楽の旋律の
風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。