俗にこれを海軍原と呼んで海軍省所属の原でしたが、ここで海軍省が初めて
風船というものを揚げました。
風船バクダン博士という肩書にもよるかも知れぬが、この心中屍体に対しては、土地の人々の取扱は鄭重をきわめたそうである。
私の経験でいうと、こうして綱の切れた
風船状態の時には、親しい人に会いたくなるのだ。
丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の樹の下に
風船屋などと、よき所に陣を敷いたが、鳥居外のは、気まぐれに山から出て来た、もの売で。
八大家文を読み論語をさえ講義し天下を経綸せんとする者が、オメオメと猿が手を持つ蟻が臑を持つの
風船に乗って旅しつつ廻るのと、児戯に類する事を学ばんや。
軽焼の後身の
風船霰でさえこの頃は忘られてるので、場末の駄菓子屋にだって滅多に軽焼を見掛けない。
傍らで
風船をついてゐた少女が、その
風船を僕の額の傷口に押しあてて、なんとか優しいことを云つてくれたのを覚えてゐる。
これに相当大きな
風船と、細長く紙を幾重にもたゝんで出来た旗竿が付いてゐた。
白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う
風船へ頭と両手両足をつけたように見える。