大熊老人の
鼻息の荒いもう一つの理由は、老人は三十年此の方、独身であり、そのうえ老人には一人の子供も無論孫も無い、全くの孤独者であったことである。
豊島、川端、村松三初段は全然腕に自信がなくて至って、
鼻息が弱いのだが、倉田百三初段の鼻ッ柱は凄いもので、この自信は文士の中では異例だ。
つまり彼は生き残る確信に於て猪の
鼻息のやうに荒かつた。
それで始めの
鼻息はどこへやら、今度は人のつまらぬ仕事までほめたりおだてたりするのは、自分の仕事もそのへんで甘く見逃して貰ひたいといふ意味だ。
江戸の素人天狗なら三目置かせて総ナメにしてみせらアと猪のように
鼻息の荒い奴だが、棋力はたしかに素人抜群、専門棋士の二段ぐらいの腕はあった。
馬のような
鼻息をたてて一時間あまりも力をぬかない仕事熱心なところは結構であるが、カタワのヒガミや一徹で何を仕でかすか知れないような不気味なところが気にかかる。
それにつけても肥後守は、——会津中将は、葵御一門切っての天晴れな公達よ喃! 御三家ですらもが薩長の
鼻息窺うて、江戸追討軍の御先棒となるきのう今日じゃ。
従つて気風が荒く、娼妓などもそれに相応した渡り者が陣取つてゐて、往々にして雇人の方が主人よりも
鼻息があらい、と。