縁日を間にはさんで前に五日後に七日と二週間ちかく興行したが、縁日の当日はとにかく、成績は
上乗ではなかった。
現在の観衆を前にして——殊に観衆を尊重する意味に於て——かくの如き上演目録は、恐らく
上乗のものではあるまい。
「自然な会話」必ずしも、
上乗な「劇的対話」でないことはこの通りであるが、その中に何も劇的事件がないからだ、内容がないからだと云ふかもしれない。
詩の巧拙は自分には分らないが、歌は武将としては
上乗の部であろう。
そして探偵小説は描写の技巧の優れたるよりも筋の優れたものを
上乗とすべきであろうと自分は思う。
しかし、顔のことに触れたついでに言えば、若いのか年寄りなのかわからぬような顔は、
上乗の顔ではあるまい。
天下の衆生をして悉く愛山生の如き史論家ならしめば、当時の社会を知るの要を重んじて、京山をも、西鶴をも、最
上乗の作家として畏敬するなるべし。
まづ
上乗と思ふものでも何か妙に自然を欠いた、病的な感じを伴つてゐる。
夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より
上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。