そこで、おれが初めて
主君のかたき討をするのであるといっている。
順序に並べて、親、兄弟、
主君の敵討ちのうち、
主君の敵討ちを道徳的に高いものとみている。
其と共に、
主君と一処に、家人のなり上つた家などは、深い睦しさから招かれも迎へもしたであらう。
生れて以来、叱られるなどという感情を夢にも経験したことのない
主君に対して、大御所の激しい叱責がどんな効果を及ぼすかを、彼らは恟々として考えねばならなかった。
が、それかといって、藩主定敬公がまだ恭順を表されない前に、城を出でて官軍に降るということは、相伝の
主君に対して不忠である。
只晴賢と戦争するについて、
主君の為に晴賢の無道を討つという看板を掲げ、名分を正したに過ぎない。
其上、今度
主君の仇を討った功労者は、秀吉である、只今の場合、先ず聴くべきは先君の敵を打った功労の者の言ではあるまいか、と。
戦国時代の武将が
主君自らの心安立ての打擲なら、或は辛抱するかも知れないが、小姓などを使って殴られて、寸時も辛抱するわけはないと思う。
主君に対する恨みと四郎に対する怒りとがごつちやになつて燃え上つた。
その若い士は、新兵衛の
主君松山新介の側腹の子であった。