昼間は、わしは祈祷と神聖な
事物とに忙しい神の僧侶であるが、夜、眼をつぶる刹那からは、忽ち若い貴族になつてしまふ。
現在の
事物の用途が、昔から全く変らなかつた、と考へるのは、大きな間違ひである。
人間そうそう永生きはできぬ、百般の
事物を究理せぬうちに、一生の幕を下ろすことになろう。
眼に映じ、耳に響き、肌に触れ、心に感ずる様々な
事物が、かく映じ、かく響き、かく触れ、かく感ずることを既に疑つてゐる人間があるかも知れない。
あなたは一々の
事物について、その特質を捉へなければ満足しない。
自然の
事物は多様多趣ではあるが、早いか晩いか、一度はその
事物と同一の Constellation が生じて来なくてはならない。
その間に、自分では知らずに、変幻極まりなく、且最も深遠な
事物を表現する。
且つ湧き且つ静まり、且つ燃え且つ消ゆる感情の、一定の
事物の上に接続して、連鎖の如き現象を呈する者、即ち熱意なり。
また生の必然の論理は、生の拡充を障礙せんとするいっさいの
事物を除去し破壊すべく、われわれに命ずる。
又
事物と云ふ語もあるが、これは單純にものごとの意味で、廣く有氣無形に應用の利く、可なり古くからの語である。