我等の中優れたもの程——運命の
企てを知り抜いてゐると思はれる癖に——死に打勝たんとする一念に熱中してゐるやうに見える。
僕はこれから先ず、友人柿丘秋郎が
企てた世にも奇怪きわまる実験について述べようと思う。
板倉内膳正は、十二月十日の城攻めに、手痛き一揆の逆襲を受けて以来、力攻めを捨てて、兵糧攻めを
企てた。
そして、過ぎ去った謀反の
企てを心のうちで後悔しはじめる。
さてまたこの信行であるが、末森城に於て重臣林通勝、柴田勝家等に鞠育されて居たが、老臣共は信長の粗暴を嫌って信行に織田の跡を継せようと
企てた。
窮迫した財政の内から、荘厳なる大内裏の造営を
企てたりした。
彼はいま、なにを
企て、そしてなにを考えているのであろうか。
即ち余は、幹枝に痲痺狂を発せしめて、それ特有の擬神妄想を聴かんと
企てたるものなりき。
そうして、一つ処にいてだんだんそこから動かれなくなるような気がしてくると、私はほとんど何の理由なしに自分で自分の境遇そのものに非常な力を出して反抗を
企てた。
いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい
企てであるから。