此処には調和と云ふよりも寧ろ旧都
会と新市街との不可思議な対照がある。
去八日、戦捷祝賀の行列で、八百八衙、万歳の響、軍歌の声、怒濤狂瀾の押寄するが如き中で、平民社の楼上には静かに婦人講演と社
会主義研究
会とが開かれた。
国
会とか内地雑居とかいうものが極楽のように喜ばれたり地獄のように恐れられたりしていた。
何世紀も前の過去から刻みつけられた印象は、都
会という大なる集団の上にも、不可拭の焼印を押していなければならないはずだ。
この旗号は社
会と歴史と因襲と、すべて外より来る価値意識の死骸の上にのみ樹てらるべきであつた。
忙がしい師走の社
会と遠く懸け放れている老人と若い者とは、時計のない国に住んでいるように、日の暮れる頃までのんびりした心持で語りつづけた。
けれど、坂田と東京方棋士乃至将棋大成
会との間にわだかまる感情問題、面目問題はかなりに深刻である。
個人が社
会と戦い、青年が老人と戦い、進取と自由が保守と執着に組みつき、新らしき者が旧き者と鎬を削る。