それからこの「うなり」を、凧よりも長いのを付けると、昔江戸などでは「おいらん」と称えて田舎
式としたものである。
今日東京で立てますのは、削いだ竹が中心になつて、それに松があしらはれてゐるのが本
式とされてゐます。
)若し単に内容に即して、かう云ふ短詩を発句と呼ぶならば、発句は他の文芸的形
式と、——たとへば漢詩などと異らないであらう。
此考へは、追儺の
式と同じであるが、これにも矛盾が沢山ある。
言語伝承には、言語の形
式と、言語そのものと、二つの方面があるが、此話では、只今残つて居るものではなく、大分以前に、固定したものに就いて、話して見たい。
とよたまひめの命がうがやふきあへずの尊を御産みになつた場合、或は反正天皇のみあれの際に於ける形が、水辺或は水の御産の形
式として、顕著な例である。
万延元年の十月、きょうは池上の会
式というので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺界隈を検分に出た。
海に入れられて水でびしよびしよに濡れた若い娘たちの痛ましい笑顔は、儀
式といふ崇高な藝術的活動の裏にかくれた 〔e'rotique〕 であつたに相違ない。