言ふまでもないが、万葉集にある例は、極めて
倖にして残つたものであつて、この外に幾万倍の実際作例があつたに違ひない。
倖にも、其前年六月に、山籠りした世阿弥の弟子の禅竹は、ゆくりなくも命婦ら一部の、漂浪の痕を辿るべき書き物(禅竹文正応仁記)を残して置いてくれた。
これ
倖いとはひょっとすると後妻のおそでの方で、康太郎は評判のおとなしい男で財産も少しはあった。
旅の行く先々にこのやうな友人を今も持つてゐる私は
倖せである。
お定は先妻の子の伊助がお人よしのぼんやりなのを
倖い、寺田屋の家督は自身腹を痛めた椙に入聟とってつがせたいらしい。