論語に博奕といふ者有らずやの語あり、孟子に奕秋の事あり、左伝に太叔文子の君を視る奕棊に如かず、
其れ何を以て免れん乎の語あり。
さりながら論語に唾を吐きて梅暦を六韜三略とする当世の若檀那気質は
其れとは反対にて愈々頼もしからず。
受授が情を異にし※啄が機に違へば、何も彼もおもしろく無くつて、
其れも是もまづいことになる。
俺には名前がない、但し人間が付けてくれたのは有るが、
其れを云ふのは暫く差控へて置かう。
其次に、二畳の畳と一畳ばかしの板の間、之が台所で、
其れにくつ付いて小さい土間に竈があるわけであります。
その斯く言ひたるは、「事業」を以て文学を論ずる標率とするを難じたるものにして、事業
其れ自身に就きて何とも云はざりしなり。
其れは何れにしても、先生のこの方面に關する智識は實に確なものである。
かう暴れて居るうちにも自分は、彼奴何時の間にチヨーク畫を習つたらう、何人が彼奴に教へたらうと
其ればかり思ひ續けた。
而して庶物の形状声音是の如く
其れ蕃庶なりと雖も之を要するに二種を出でず。
尤も
其れなんぞ見えるやうな容易い積り方ぢやありません。