尤もロシヤの子供達の生活に就いて云はれてゐる多くの事は、たゞの
噺にすぎないとは云へ、しかし其のための非常な試みのあつた事は認めなければならない。
それはとにかくとして、私は祖母の懐でカチカチ山の
噺をきいてからというもの、狸汁について深い興味を持ちはじめたのである。
「序文」は、これも発表当時「あとがき」で断つた通り、「戯曲の形を藉りた楽屋
噺」であり、云はゞ一席の座談として読んで貰へばいゝのだ。
英吉利でシユウ・クリイムを持つて来いと云つたら、靴墨を持つて来たといふ落
噺もできてゐるくらゐだ。
幼いとき、小学校の「山羊」という綽名のある校長さんから、面白いお伽
噺をして貰ったが、その中で、最もよく覚えているのは、こんな
噺であった。
それは兎に角として、私は祖母の懐ろにカチ/\山の
噺をきいてからと言ふもの、狸汁について深い興昧を持ちはじめたのである。
その真似をして林家正藏という怪談師が、今戸に心中のあった時に『たった今戸心中
噺』と標題を置き拵えた怪談が大して評が好かったという事でござります。
実際そのつもりでゐたのぢやが、わしの
噺には少くともこんな本の三冊分くらゐの紙面が要るつてえことが分つたんでな。