本当の事を申しますと、補助
学科と致しまして、民俗学の方から国語学或は国語の研究に持出しをするのですけれども、私の場合はさうではないやうに思ひます。
だから、
学科のうちでも農業の講義にはもっとも熱心だった。
それらの学問のうちには、学校の課程に必要な
学科のほかに、あまり世間には知られもせず、認められもしないようなものが含まれていた。
これと云って、得意な
学科もなかったが、その代りに、これと云って、不得意なものもない。
この頃から、文学への熱望甚しく、再び今村力三郎氏に寄食し、国民英学会、国漢文研究所、日本大学などを転々して、比較的文学の道に直接とする
学科の聴講に努めた。
そういうことになるのも、元来彼が課目制の
学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。
明治十年に東京大学が創設されるに当って哲学の
学科も出来、いくばくもなく欧米より専門学者を招聘して哲学の講義を依頼することになったのである。