そればかりではない、小説の主人公でなく、ほんとうの生きた人間の大岡越前
守といふえらい人さへ生れた国である。
私はウロ覚えに、母が三次から帰った子
守と話していた会話の一節を覚えている。
ところで父は変人ですから、人に勧められるままに、御経も碌々読めない癖に、淡島堂の堂
守となりました。
風
守と光子は同じ父の子ではあるが、戸籍上では、風
守は本家の養子、本家の後嗣で、すでに兄と妹ではないのである。
その頃、京橋の築地、かの本願寺のそばに浅井因幡
守という旗本屋敷がありました。
そんなところへ近寄らないのが一番無事なんですが、この氷川さまは小日向一円の総鎮
守というのですから、御参詣をしないわけには行かない。
——大兵肥満で、容貌の醜かつた津藤は、五分月代に銀鎖の懸
守と云ふ姿で、平素は好んでめくら縞の着物に白木の三尺をしめてゐたと云ふ男である。
秀林院様(細川越中
守忠興の夫人、秀林院殿華屋宗玉大姉はその法諡なり)のお果てなされ候次第のこと。
個人が社会と戦い、青年が老人と戦い、進取と自由が保
守と執着に組みつき、新らしき者が旧き者と鎬を削る。
同じ時、賈雍將軍は蒼梧の人、豫章の太
守として國の境を出で、夷賊の寇するを討じて戰に勝たず。