振向いてみると、五十がらみの
宗匠然とした渋いミナリの人物。
先生の
宗匠方のほめ方では足りないので、これは俳句ではなく、人間、文学、といふ立場からとりあげる必要があり、昭和の文学史に逸してならぬ作品だと思つてゐるのだ。
俳句の雅号を金華と称して、あっぱれの
宗匠顔をしているのである。
そして頭には、
宗匠の被るような茶頭巾を載せ、そのくせ下は絹仕立らしい長い中国服のような外套を着ていた。
ただ俳諧は大ぶん熱心で、後には立机を許されて有竹庵眠雲
宗匠になっていた。
煎茶の
宗匠や、漢詩人などの東洋趣味と、一緒にされて堪るものではない。
その上
宗匠の生涯には印税の必要もなかつたではないか?
唯その頃この宿にゐた、乞食
宗匠の井月ばかりは、度々彼の所へ遊びに来た。
芸術を真に鑑賞することはただ芸術から生きた力を生み出す人にのみ可能である——茶の
宗匠の芸術に対する貢献——処世上に及ぼした影響——利休の最後の茶の湯