それに私の家は、私の父が
家督を継いだ時、譲られたものは、家屋敷の外は質札ばかりであった、と云われるほどあって、書籍などいうものは殆ど一冊も無かった。
元来、久政は長政十六歳のとき、家老達から隠居をすすめられて、長政に
家督を譲った位の男故、あまり利口でなく、旧弊で頑固であったに違いない。
隠密の期限は一年で、それが三年をすぎても帰って来なければ、出先で殺されたものと認めて、その子か又は弟に
家督相続を仰せ付けられることになっていました。
お定は先妻の子の伊助がお人よしのぼんやりなのを倖い、寺田屋の
家督は自身腹を痛めた椙に入聟とってつがせたいらしい。
何となれば、数百年の永き月日の間、日本の男子は年寄りて後、その
家督をせがれに譲りて隠居するの風習なりければなり。
家督を継いだ長男は、従兄妹同志の新妻と、廊下続きになつてゐる、手狭い離れに住んでゐた。
主人は先年みまかりまして、お杉という後家が
家督を踏まえて居る。