むかしむかし、私が女学生の時分、(その時代にもびんばふ人は沢山ゐた)一週間に三度ぐらゐ寄
宿舎のまかなひにお料理の手伝ひに行つた。
寮雨とは夜間寄
宿舎の窓より、勝手に小便を垂れ流す事なり。
夜は兵をあつめて
宿舎の周囲を守らせ、妻を室内に深く閉じ籠めて、下婢十余人を付き添わせて置くと、その夜は暗い風が吹いた。
随って当時の女学校の寄
宿舎の応接室に青年学生の姿を見ない日はなかった。
長慶の初年に、その寺中に住む人で毎夜門外の
宿舎に眠るものがあった。
昨日開いた第一回目の知らせには「君は今寄
宿舎の自室に居る。
彼等はこんな晩、工場内の
宿舎に帰って蒲団を被って寝る方が恐ろしかった。
まだ一高の生徒だった僕は寄
宿舎の晩飯をすませた後、度たびこの二階へ遊びに行った。
けれど、来て見ると、
宿舎というのは、竹の柱に草葺の屋根で、土間には一枚の敷物もなく、丸竹の棚を並べて、それが寝台だ。
われわれも学生時代に課業のほか、寄
宿舎の消灯後にも蝋燭をともして読書したものである。