文人は文人で自己流の文章を
尺度にしてキチンと文体を定めたがッたり、実に馬鹿馬鹿しい想像をもッているのが多いから情ないのサ。
物理数学とちがって、味覚に厳正な
尺度や答えは有りッこないものだ。
して見れば菊池寛の作品を論ずる際、これらの
尺度にのみ拠ろうとするのは、妥当を欠く非難を免れまい。
たゞ、その自然に如何なる方法をもつて挑み、それをどの程度に生活内容と調和させてゐるかが、土地の繁栄と品位とを計る
尺度である。
その悲劇の価値を測る
尺度で、一篇の喜劇を測ることは出来ない筈です。
第一に断つておきたいことは、如何なる意味に於ても、理想から云へば、小説と戯曲とは、同じ
尺度をもつて計るべきだといふ意見に、私は賛成したいことだ。
且、人の天分にはそれそれ自らなる相違あり、強ひて自己の感覚を
尺度として他を律するは謬なるべし。
数間の地を測るには
尺度にて足るべし、天下の大を度るには、人造の
尺度果して何の用をかせむ。
正直を政略として信じてゐる商人は、正直を信條として信じてゐる商人と同じ
尺度と同じ品質の反物を賣るであらう。