しかし、それが小説の
支柱になっているかというと、そういうところも見当らなくて、由起さんの小説は甚しく感性的で、雑然としているのである。
魚類はそろそろ渓川の※洒な細鱗が嗜味の夢に入る、夕顔の苗に
支柱を添へ、金魚の鉢に藻を沈めてやる、いづれも、季節よりの親しみである。
辻川博士の奇怪な研究室は葉の落ちた欅の大木にかこまれて、それらの木と高さを争うように、亭々として地上三十尺あまりにそびえている
支柱の上に乗っていた。
——それが
支柱の十文字は同じでも、橋材が鉄に変つて新装した姿が、第二図(東京名所案内所載)で、われわれは初めからずつとこれに見参してゐる。