門跡寺、宮門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の
扶持を受けるという仕組であった。
つまり、大阪陣と云うのは、ある点からは、関ヶ原で失業した諸浪人の就職戦争であるから、媾和になった場合には、浪人の
扶持問題が起るのは、当然なわけである。
わが家も徳川家瓦解の後は多からぬ
扶持さへ失ひければ、朝あさのけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父ぎみ道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。
これは森権之進と云ふ中老のつむじ曲りで、身分は七十俵五人
扶持の御徒士である。
はぐくみ參らす三度のものも、殿の御
扶持を賜はりて、鶴が虚空を運びしかば、今は憂慮ふ事なし? とて、年月を經る夜毎々々、殿は美しき夢見ておはしぬ。
この後幾ほどなき事なりき、同郷なる富田鐵之助君、龍動に在勤せられて、「來遊せよかし、おのれ、いかにもして
扶持せむ、」など、厚意もて言ひおこせられたり。