大王深山にして
嶺の木の子をひろひ、沢の若菜を摘みて行ひ給ひける程に、一人の梵士出で来て、大王のかくて行ひ給ふこと希代のことなり。
皮膚の色が並はづれて黒い上に、髪や鬚の縮れてゐる所を見ると、どうも葱
嶺の西からでも来た人間らしい。
それに打たれた土人は狂気のようになり、家族をわすれおのが生命をも顧みず、日ごろ怖れている氷
嶺の奥ふかくへと、橇をまっしぐらに走らせてゆく。
筑波
嶺のこのもかのもに、蔓はあれど、君がみかげに、ますかげはなし
築地座を止める約一年位前から非常な飛躍を芸の上に見せてきて、「にんじん」のルピツクや「秋水
嶺」の山口一作など最も油が乗つたものであつた。
申※は最初の大言に似ず、日本軍連勝の報に恐れをなして、忠州を出動して南下し、鳥
嶺の嶮を踰える時に行方不明になった。
それが、時には雷を鳴らし電光を発し、大氷
嶺上で時ならぬ噴火のさまを呈する——その怪雲は明らかに不可解だ。
有名な雲横秦
嶺家何在、雪擁藍關馬不前の句は、この時の作で、秦
嶺も藍關も、唐都長安から潮州に至る途中の地名である。
嶺あり、天を遮り、關あり、地を鎖し、馬前まず、——馬前まず。