人々は私が母に可愛がられて
幸福だというけれども、私は
幸福だと思ったことはなかった。
人動もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、
幸福だとする。
彼の性格の複雜深刻を一貫するシムプリシテイーの力を解する人ならば、必ず彼を
幸福だといふことに同意するであらう。
(家内はもともと消極的な女で実につつましい片隅の家庭生活の
幸福だけを私に望んでいたので、所謂私の世間的な出世や華々しい成功などは寧ろ嫌っているのでありました。
しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける
幸福だった。
でも、私は、それでも強いられて、いやな結婚をする人達から見れば、自分達がどんなに正しい結婚をし、またどんなに
幸福だかという事を誇りにしていました。
何千人の、あるいは何万人のファンを持つていますと人に数字を挙げて説明のできることははたして
幸福だろうか。
何が善だやら惡だやら、何が眞理だやら非眞理だやら、何が
幸福だやら不幸だやら、一つも分るものでない。