それは、広々とした室や、綺麗な枝形燈架や、贅沢な家具などと共に、
往時の雅致をまだ多分に残してゐる場所だつた。
彼女は、七八歳の子供の頃、店の小僧に手伝って貰って、たもを持ってよく金魚や鮒をすくって楽しんだ
往時を想い廻した。
たゞ水の東京に至つては、知るもの言はず、言ふもの知らず、江戸の
往時より近き頃まで何人もこれを説かぬに似たれば、いで我試みにこれを語らん。
福山すなわち松前と
往時は云いし城下に暫時碇泊しけるに、北海道には珍らしくもさすがは旧城下だけありて白壁づくりの家など眸に入る。
好事の人の就て汲む者の如き、終に
往時の一夢たらんのみ。
往時かつて『主権原論』と言える反訳書を公にし、一昨年に至りて『日本外交私議』を刊行し、昨年末に『予算論』と言える小冊子を出したるのみ。
更紗を洩れる灯、昼間は気付かなかった露台の影絵、パタンやブルマンの喧囂たる取引は、さながら、
往時バグダッドの繁栄そのものである。
而して儒教の風教を支配する事能はざるは、
往時以太利に羅馬教の勢力地に堕ちて、教会は唯だ集会所たるが如き観ありしと同様の事実なり。
そも/\我と汝とは
往時如何なる契りありけむ、かく相互に睦ぶこと是も他生の縁なるべし。
此處
往時北越名代の健兒、佐々成政の別業の舊跡にして、今も殘れる築山は小富士と呼びぬ。