心覚えに頁を控えたものかと思ったが、同じ数字がそろっているから、そうでもないらしい。
それに、藁屋や垣根の多くが取払われたせいか、峠の裾が、ずらりと引いて、風にひだ打つ道の高低、畝々と畝った処が、
心覚えより早や目前に近い。
いい図柄や色気のものがたんとあって、つい懐ろの写生帖を取り出しては、
心覚えに縮図させられる気にさえなった程だった。
結婚前の日記がわりに細かく、丹念に続けられてゐるのに反し、結婚後は、ずつと飛びとびに、それも
心覚えの程度にしかつけられてゐないのも、私にはうなづかれる。
自分の
心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺い知られる。