私達は家の真中の広間——今強いて云へば
応接間でしようか——に晶子夫人をお待ちして居りました。
こういって村上編集局長は
応接間からそとへ出て行った。
そのとき、眼鏡をかけた細面の奥さんも
応接間へ現われたと思う。
この建物は事務室、陳列室、
応接間に区切られて、奥の住宅に廊下でつながり、周囲は一面の芝生で、日溜りには主人自慢の甲斐犬がからだをまるめて眠つてゐた。
郊外の安手な木造洋館で、舞台は白ペンキ塗のバルコニイを前にした、八畳の
応接間兼食堂。
大里貢の家の
応接間——石油ストーブ——くすんだ色の壁紙——線の硬い家具——正面の広い硝子戸を透して、温室、グリーン・ハウス、フレム及び花壇の一部が見える。
庵は六畳の間にお大師様をまつりまして、次の八畳が、居間なり、
応接間なり、食堂であり、寝室であるのです。