邵子が橋上に杜鵑の声を聞いて天下の形勢を悟つたといふのも、豈直に杜鵑の声を聞いて而る後に
悟るところ有りしならんやである。
まことに正論であるから、馬吉も
悟るところがあった。
どうも批評家がそういうものを適切に批評して、杉村君がほんぜんと
悟るというものじやあない。
彼等はいまに、自分が時代に遅れたる作家であったことを
悟るであろう。
当時在京中の慶喜
悟る所あり、十月十三日在京の諸大名群臣を二条城に集めて諮問したる上、翌十四日朝廷へ奏問に及んだのである。
だから私は鏡を見て自分の顔の未完成さを
悟るごとに、自分の死期はまだまだ遠いと思つて安心するのである。
迷ふも茲にあり、
悟るも茲にあり、殺するも仁するも茲にあり、愛も非愛も茲にこそ湛ふるなれ。
花のあしたを山に迷ひ、月のゆふべを野にくらすなど、人には狂へりと言はるゝも自から
悟ることを知らず、人には愚なりと言はるゝとも自から賢からんことを冀はず。
天の彼を罰するか、彼の自ら罰するか、韓郎の古事、世に期し難く、靖節の幽意、人の
悟ることなし。