話は違ふが、近頃また「西洋嫌ひ」を看板に、世間のオツチヨコチヨイを手なづけようとしてゐる
慷慨家をぼつぼつ見かけるが、これは慥かに時勢に投じたやり口である。
慷慨家の金子は、翼なき身を口惜しむように、足摺りしながら叫んだ。
自分たちの左右には、昔、島崎藤村が「もっと頭をあげて歩け」と
慷慨した、下級官吏らしい人々が、まだ漂っている黄昏の光の中に、蹌踉たる歩みを運んで行く。
幻詭猥雑の談に、干戈弓馬の事を挿み、
慷慨節義の譚に、神仙縹緲の趣を交ゆ。
すると誰かが、赤く充血した、其の癖何處かとろんとした眼で一座を見廻しながら、
慷慨演説でもするやうな口調で、「我黨の士は大いにやらにや可かんぞ。
彼等の
慷慨、彼等の憂国、多くは彼等の自ら期せざる渦流に巻き去られて終ることあるものぞ。
詩人の寛量は、
慷慨を好む民にこの調を仮せしに過ぎざらむのみ。
是を以て、肉緩み、皮慢に、筋骸相束ねず、ほゞ
慷慨激昂の氣なし。