すると、たとい写実派の川口でも、時には写実を離れて頭だけで
描くこともあろうではないか、と金剛蜻治が横槍を入れた。
東京の留守宅の半面図を
描くことも、日本からヱジプトまで来た私の足跡を地図に
描くことも出来た。
気違いででもなければ、誰がこんな色の画を
描くものですか。
ミレーのものは貴族でも其間に質朴なる百姓の面影を宿し、バンダイクが
描くと、百姓でも貴族の風格が備はる。
人物を
描くにあたつて、それを色の美として、塊の美として光と蔭の美として表はす事は勿論悪くはなからう。
狩野探幽でしたか、あるお寺の襖に千羽鶴を
描くのにいろいろと自分の姿態を映した話がありましたが、画
描きというものの通癖でもありましょうか。
そして私は母が姉であり得るような空間や妹であり得るような時間を、空を見るときや海を見るときにいつも想い
描くのだった。