天明五年正月の門松ももう取られて、
武家では具足びらき、町家では蔵びらきという十一日もきのうと過ぎた。
しかし、藩主忠利侯は在府中である上に、みだりに援兵を送ることは、
武家法度の固く禁ずるところであった。
紋を染めた古帷子に何か黒い帯をしめた、
武家の女房らしい女である。
そこへ大小、袴、
武家の若党風の男が来かかって、その柿の実を買うつもりらしく、売り手の百姓をつかまえて何か値段の掛け引きをしていました。
「旦那に逢いたいと云って、立派なお
武家がみえました」
なんにしても自由自在に槍を使う以上、それが町人や百姓とも思われないので、
武家や浪人どもが注意の眼を逃がれることは出来なかった。
「各町内に一個所ずつあって、屋敷町にあるのは
武家持ちで辻番といい、商人町にあるのは町人持ちで自身番というんです。
「なに? 血まみれとな? お
武家か町人か、風体はどんなじゃ」
なれども昔のお
武家は御気象が至って堅い、孔子や孟子の口真似をいたして、頻に理窟を並べて居るという、斯ういう堅人が妹に見込まれて、大事な一人娘を預かった。
梅「あらまア御免遊ばせ酔って居りますから、お前さん何と云う事だよ、お
武家様を番太郎の家などへお上げ申す事が出来ますものかね」