北川冬彦は嘗て最も
潔癖に日本産の文學をうけつけなかつた詩人である。
また精神上の
潔癖家として無暗に人を毛嫌いするものもある。
その為にまた再び神道を宗教化するといふことが、道徳的にいけない、道徳的に
潔癖に障るやうな心持ちが、再び盛んに起つて参りました。
すりよるヒロシの体臭が不快であつたが、それを邪慳にするだけの
潔癖もなかつた。
ただはっきり言えるのは、彼奴はなかなかのしっかり者で、婦人に対してもすこぶる
潔癖だから、その点は心配しないように」
文学が等しく「世間」を描いて、しかも、そのうちに「世間」を住はせない狭量または
潔癖である。
かういふ問題は、といふよりも、「愛国心」といふやうな言葉に対しては、文学者共通の
潔癖から、まづ一つのポオズを択んで物を云ふやうになる。
だが、彼の
潔癖性は、こうせずにはいられなかったのだ。
一方、少くとも表面は昔の人のやうに思想的に
潔癖ではない。
伊助の
潔癖は登勢の白い手さえ汚いと躊躇うほどであり、新婚の甘さはなかったが、いつか登勢にはほくろのない顔なぞ男の顔としてはもうつまらなかった。