白骨の隙間に雑草が繁り、なまぐさい風に頭をふり、島原半島は
無人のまゝ、十年すぎた。
しかし私がかりた時は、
無人の年月にトヨが落葉でつまり、又、谷川のとりいれ口のトヨが風雨のために流失しており、用をなさなくなっていた。
その上、附近の陸地は全くの
無人の地、通る船舶も殆どなく、密漁を見破られるという心配は百に一ツもないようだ。
無人境に聞く口笛——それは懐しくなければならない筈のものだったけれど、なぜか青年の心を脅かすばかりに役立った。
だから「危難の海」に現われたこの小さい白点は、月世界の
無人境説の上に、一抹の疑念を生んだ。
そのときわたくしは、
無人の境だとばかり思っていたこの戸山ッ原に、人がいるのを知って、びっくりした。
しかし薩軍を悩したものは風雪だけであって、十八日から二十日に至る間、
無人の境を行く如くして肥後に入った。
先鋒の三軍各々路を三つに分ち、京城を目指して進んだが、処々に合戦あるものの、まるで
無人の境を行く如しと云ってよい位の勢いであった。
やがて私は高等学校在学中に両親を失ひ、ひいては
無人になつた家を畳んでしまふと、もうこの町とは殆んど没交渉になつてしまつた。