無能では世界第一の名をほしいままにしている上海の警察が、こんな場合に役立たないことはわかりきったはなしで、いつまで経っても鞄は出て来ない。
しかも、いつも口ぐせのように当局の
無能を罵倒して止まない『あづま日報』の村井ではないか。
そして母親は本能的に子供の独占慾が旺盛であるが、結局その方が
無能な父には手が省けるので、専ら母の独占慾にまかせている。
そこで彼の発見した手口が先例となって後に続く
無能の自殺者がキリもないとなれば、彼を教祖、開祖と見立てて不都合はなかろう。
事実、将軍としての彼は、
無能であったらしく、治蹟の見る可きものなく、寵嬖政治に堕して居る。
家来に偉いのが出ないのにも依るが氏政自身
無能である。
これが結果は、前者は有能であり、後者は
無能でありましょう。
知っていながら哲学や芸術に没頭しているとすれば、彼らは現代から取り残された、過去に属する
無能者である。
すなわち、かくも
無能低劣なる我々に映画を任せきりにして今まで省みようともしなかつたのはだれの責任であるかと。
『前は四人にて五圓、今日は三人にて十圓、如何に
無能の十口坊とても、支拂に窮することは無かるべし』と云へば、『言ふにや及ぶ』と、十口坊氣張る。