言語の自然な定義変化のほかに、死語・古語の合理解を元とした擬古文の上の
用語例、こういう二方面から考えてみねば、古い詞章や、事実の真の姿は、わかるはずはない。
神主の厳格な
用語例は、主席神職であって、神の代理とも、象徴ともなることのできる者であった。
たれ・いつ・なにが、其の否定文から引き出されて示す肯定法の古い
用語例は、寧、超経験の空想を対象にして居る様にも見える。
平安朝の初頭から見える事実は、まつりの
用語例に、奏楽・演舞を条件に加へて来てゐるのである。
近世の日本に於ては、学問風に考へた場合には、精魂としての魂を考へることもあるが、多くは、死霊・生霊の
用語例に入つて来る。
おきなと言ふ語は、早くから芸能の上に分化したおきなの
用語例の印象をとり込んでゐます。
祭式上の
用語とか、内務省風の
用語とかでなく、昔から使はれてゐる神道関係の言葉が、どの位古い所まで突き詰めて研究されてゐるか、此が一番の問題であると思ふ。
蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の
用語を使うと、「飜然と心を改めた。
そこで世界経綸の抱負と無産階級の意義と露西亜への好意と、マクドナルドの打倒——等々がアクセント許りに煮詰められた
用語で拍手の唸りを長閑に反応させてゐる。
東北には酸川・酸个湯など、舌に酸っぱいことを意味する名の湯が、大分あるが、我々の近代の
用語例からすれば、酸いと言うより、渋いに偏った味である。