女性から言えば、弱々しくフェミニストたらざるを得ない
男性より昂然としていても、女性に理解力ある
男性の方が見込みがある。
」私は必ずしも、
男性に餓えているというわけではなかった。
いふまでもなく、それゆゑ以上のラブレター文範はその
男性が御苦労様にも、そのある女に自分から書いて示したものであります。
武力の価値が他の手段にくらべて高いほど戦争は
男性的で力強く、太く、短くなるのであります。
彼もあらゆる
男性のように三重子に倦怠を感じ出したのであろうか? けれども捲怠を生ずるためには同一のものに面しなければならぬ。
ただK君と違うのは、——僕はいつも小説などを読むと、二人の
男性を差別するために一人を肥った男にすれば、一人を瘠せた男にするのをちょっと滑稽に思っています。
しかし、所謂
男性美といふものは、どうも少し粗野で簡単で、概念的になりやすい。
そのとき扉が開いたと思うと、中から一人の
男性が飛びだした。
然れども彼の面の醜なるを恥ぢずして、却つてこれを誇る者、渠等は
男性を蔑視するなり、呵す、常に芸娼妓矢場女等教育なき美人を罵る処の、教育ある醜面の淑女を呵す。
眞淵の「ますらをぶり」も、力の藝術といふ意味でなく、單に
男性的といふ事を對象としてゐるのではなからうか、と思ひます。