連れの人々には途中で別れてしまって、町の方角へむかって帰って来るのは、町の呉服屋の息子で俳号を野
童という青年と私との二人ぎりであった。
万事その年に行はれた不思議な事どもにかこつけたもので、善
童とあるのは言ふまでもなく益田甚兵衛の子、ヒエロニモ四郎のことであつた。
昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女の
童と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。
上どう 上
童、うへわらはと云ふべきのを此頃は字音のさへに称へしなるか或は原書に上
童と書きてありしを仮名にどうと書きあやまりしにもあるべし。
すると、神
童といふものは、期せずして東西同じやうに、相手の武器を奪つて相手をへこませることを心得てゐるものとみえる。
すると、——僕が河
童というものを見たのは実にこの時がはじめてだったのです。
別荘へは長男の
童が朝夕二度の牛乳を運べば、青年いつしかこの
童と親しみ、その後は乳屋の主人とも微笑みて物語するようになりぬ。
昨年の秋鳥部寺の賓頭盧の後の山に、物詣でに來たらしい女房が一人、女の
童と一しよに殺されてゐたのは、こいつの仕業だとか申して居りました。