晩のお菜に、煮たわ、喰ったわ、その数三万三千三百さるほどに爺の因果が孫に報って、渾名を小烏の三之助、数え年十三の大柄な
童でござる。
と云うのは昔青田の畔に奇蹟を現した一人の
童児、——金応瑞に国を救わせたからである。
それを気の毒に思いなどするのは、婦女
童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。
世間に伝わっているのは、「
童かとすれば年老いてその貌にあらず、法師かと思えばまた髪は空ざまに生い上りて白髪多し。
西原氏は、嫌味のないさつぱりした調子で、あの坂でつくつた自作の
童謠を口ずさみ、しみじみと愉快氣に
童男型でありながらまた大人風をも備へた大兵の體を振つた。
上は主人の基経から、下は牛飼の
童児まで、無意識ながら、悉さう信じて疑ふ者がない。
伊豆の山燃ゆ、伊豆の山燃ゆと、
童ら節おもしろく唄い、沖の方のみ見やりて手を拍ち、躍り狂えり。
童児などは、此雲を指さして、鰯の取るゝ兆なりといふもまたをかし。
ありとある上下
童まで醉ひしれて、一文字をだに知らぬものしが、足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。