日が暮れて、楽屋入りの時刻が来たので、六三郎は一座の役者達と一緒に
芝居小屋へ行きました。
その
芝居小屋は、その後、はやらなくなりまして、なくなりました。
これは日本でも西洋でも同じことだと思ひますが、
芝居小屋、即ち劇場といふ処は、或る意味で一つの社交機関と見做されてゐる。
小林氏の如く「
芝居小屋全体の礼節」に愛想をつかすことはまだ早いし、真船氏の如く、作家として舞台に冷淡な顔を向けることも、日本に於ては、再考の余地があると思ふ。
巴里には現在六十余りの
芝居小屋があり、そのうち歌劇やレヴュウをやつてゐるものを除き、まづざつと三十の小屋で、芝居といへる芝居をやつてゐる。
「日本でも地方の
芝居小屋には怪談が往々伝えられるものだ。
その
芝居小屋のかげをゆく馬車の喇叭のなつかしさよ。