)の調子で響いたので、お源が気を揉んで、手を振って圧えた処へ、盤台を肩にぬいと立った魚屋は、渾名を(め組)と称える、名代の
芝ッ児。
いちばん最初の事件は……なんでも、
芝神明の生姜市の頃でしたから、九月の彼岸前でしたかな……刑事部の二号法廷で、ちょっとした窃盗事件の公判がはじまったんです。
其頃(明治の初年)は
芝の石竜子(先々代)や馬道の千枝田(?)が名人で、其前に坐ると直ぐ何を見て貰ひに来たかを看抜いたさうだ。
僕は或風のない深夜、僕の養母と人力車に乗り、本所から
芝まで駈けつけて行った。
しかしT君は腰をかがめ、
芝の上の土を拾いながら、もう一度僕の言葉に反対した。
芝鶴が加役で宗吾の女房を勤めていましたが、これも案外の出来で、なるほど達者な役者だと思いました。
ふたりは方向を換えようとして本
芝の方へ振り向く途端に、わっという叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽れて来た。
芝、田町の鋳掛屋庄五郎が川崎の厄除大師へ参詣すると云って家を出たのは、元治元年三月二十一日の暁方であった。
青年二人は日光の直射を松の大木の蔭によけて、山
芝の上に寝転んで、一人は遠く相模灘を眺め、一人は読書している。