芝居はなし、展覧会はなし、(あなたは春陽会へいらしって? 入らしったら、今度知らせて頂戴。
その後、世事談を見ると、のろまは「江戸和泉太夫、
芝居に野呂松勘兵衛と云うもの、頭ひらたく色青黒きいやしげなる人形を使う。
かわりめ毎に覗き覗きした
芝居も、成田屋や五代目がなくなってからは、行く張合がなくなったのであろう。
昔の
芝居は殺し場などに多田の薬師の石切場と一しよに度々この人通りの少ない「百本杭」の河岸を使つてゐた。
若し違つてゐるとすれば、
芝居の喧嘩は僕の上へ危険を齎さないにも関らず、往来の喧嘩はいつ何時危険を齎らすかもわからないことである。
唯、それが、先生の留学中、西洋で見た
芝居の或るものを聯想させる範囲で、幾分か興味を持つ事が出来るだけである。
が、かうして愈末期の水をとつて見ると、自分の実際の心もちは全然その
芝居めいた予測を裏切つて、如何にも冷淡に澄みわたつてゐる。
又金子を沢山懐中に入れて
芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入で、這入り所がなければ観る事は出来ませぬ。
私がはじめて
芝居を見たのは、団十郎が斎藤内蔵之助をやった時だそうですが、これはよく覚えていません。