そこで、
上演料に関する現行規定であるが、実際は、各契約に於いて協定されるので、作品の価値、殊に作者の名によつて、更に劇場の性質によつて差異がある。
今日の「読む戯曲」が、明日の優れた「
上演脚本」でないとは限らない。
要するに翻訳劇を日本でやるとすれば、先づ第一に脚本の銓衡、翻訳者の名前に囚はれないで、
上演に適した翻訳であるかどうかを吟味することが必要である。
劇作家協会は、会員の作品
上演を監視するため、仏国及び外国の都市を通じて、六百の通信員を置いてゐる。
現在の観衆を前にして——殊に観衆を尊重する意味に於て——かくの如き
上演目録は、恐らく上乗のものではあるまい。
広子はこの
上演を見物した時から、(彼女はよくよく退屈しない限り、小説や戯曲を読んだことはなかった。
もちろん芝居の方でも抜け目がなく、今度の宗吾を
上演するに就いては、座方の者がわざわざ佐倉まで参詣に出かけ、大いに芝居の広告をして来たのでした。
私はかつて「虚無僧」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で
上演されたことがある。
それは明治八年の春、はじめて守田座で
上演されたもので、彦三郎の越前守、左団次の伊賀之助、菊五郎の天一坊、いずれも役者ぞろいの大出来であったなどと話した。
上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも成功とはいえなかった。