また戊辰戦争の後には、世の中が惨忍な事を好んだから、仕掛物と称した怪談
見世物が大流行で、小屋の内へ入ると薄暗くしてあって、人が俯向いてる。
明治七、八年の頃だったと思いますが、尾張町の東側に伊太利風景の
見世物がありました。
この他、浅草で始めて電気の
見世物をかけたのは広瀬じゅこくさんで、太鼓に指をふれると、それが自然に鳴ったり、人形の髪の毛が自然に立ったりする処を見せました。
幼い頃の朧ろげな記憶の糸を辿って行くと、江戸の末期から明治の初年へかけて、物売や
見世物の中には随分面白い異ったものがあった。
奥山
見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院の庭で、土州山内容堂公の持っていられた眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗かしたのでした。
扉を開いてはいって来た毛利先生は、何より先その背の低いのがよく縁日の
見世物に出る蜘蛛男と云うものを聯想させた。
ウィンのプラーテル、ベルリンのルナパークあたりでは、蚤の
見世物があった。
その本の中の化け物などは、大抵
見世物の看板に過ぎない。
見世物には猿芝居、山雀の曲芸、ろくろ首、山男、地獄極楽のからくりなどという、もうこの頃ではたんと見られないものが軒を列べて出ていました。