「春の
苑くれなゐ匂ふ桃の花した照る道にいで立つをとめ
そして其の一つの常用地として、長谷川時雨さんの妹さんがやつてゐる、鶴見の花香
苑があつた。
あるいはまた名高い給孤独長者も祇園精舎を造るために祇陀童子の園
苑を買った時には黄金を地に布いたと言うことだけである。
この木は、高さ三丈許、葉の状は箭鏃の如くにして平滑、その果は竜眼(新村出氏の『辞
苑』にその図出づ)の実に似て、熟すれば真赤になり、肉は白くして甘き汁に富む。
果して、幹枝の高き教養と脱俗の境地に過せし素質は忽ちに自身を天人に擬して、兜羅綿の樹下衆車
苑に遊ぶの様を唱い始めたり。
宋の画
苑に春宮秘戯図ある故、枕草紙を春宮とも言へど、春宮は元来東宮のことなり。
孤りこれ等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法
苑林の樹間に「愛」と相睦み語らふならむといふに在りて、冷艶素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。
且つ見る後
苑の牡丹花、赫耀として然も靜なるに、唯一つ繞り飛ぶ蜂の羽音よ、一杵二杵ブン/\と、小さき黄金の鐘が鳴る。