言語の自然な定義変化のほかに、死語・古語の合理解を元とした擬古文の上の用語例、こういう二方面から考えてみねば、古い詞章や、事実の真の姿は、わかるはずはない。
言語を覚えさせるために、
言語をあらわす文字を集めている。
第一の反対理由は、我々の日常使用している
言語の大部分は外来語であるから今更、外来語を不浄扱いして排斥しないでもよかろうというのである。
東京と西京とは、飲食住居より
言語風俗に至るまで、今猶頗る相異なるものあり。
特に疎開児童の居る旅館などといったら、殆ど
言語に絶するほど蚤が沢山いた。
所持品により、本籍並びに番匠幹枝という姓名だけは知りたれども、同人は精神激動のためか、殆んど
言語を洩らさず、凡てが憂欝狂の徴候を示せり。
かう言ふ生活の、實際に現れて來るより前に、
言語を以て表現する藝術に、さう言ふ未來の心ゆく姿をば、望み見ることの出來る境までは、行くことが出來るのである。